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突然ですが、もし、あなたが今日から無人島で生活することになったらどうしますか?

しかも、川や湖もなければ、植物もほとんどなく、船も全く通らないような絶望的な無人島で。

信じられないかもしれませんが、江戸時代に、12年間もそんな島で生活し、無事生還した、野村長平という船乗りがいました。

一度、本で知って、「スゴ!」と思ったので、紹介します。


時代背景

江戸時代、日本は厳しい鎖国体制をとっていました。

なので、日本人が海外に渡航するのは重罪とされていて、丈夫な船を造るのは幕府から禁止されていて、丈夫でない船に乗った船乗りが行方不明になることは少なくなかったそうです。

そんな時代に船乗りとして生まれてきたのが、野村長平というわけです。

漂流してたどり着いた「鳥島」

1785年、長平は土佐潘(現在の高知県)を船で出発しました。

途中で嵐に遭い、漂船となりました。

長平は黒潮に乗って、12日間漂流して、鳥島という無人島に漂着しました。

そこには、川や湖もなく、植物もほとんどない、小さな無人島でした。

さらに、鳥島は日本本土からは800kmも離れていました。

始まったサバイバル

長平の他にも、3人の仲間がいましたが、相次いで亡くなりました。

植物が少ないこの島で、食料となるのはアホウドリと少量の魚介類のみでした。

長平は水を確保するために、アホウドリの卵の殼に雨水を溜めていました。

この島での主食であるアホウドリは渡り鳥で、数ヶ月間、アホウドリがいなくなる時期があったので、事前にアホウドリの干物を作って、それを食べて生活していました。

脱出への準備

漂流から3年後、大阪の船乗りが11人、さらに2年後には薩摩潘(現在の鹿児島県)の船乗りが6人漂着し、長平と共に共同生活をするようになりました。

精神的苦痛や、ビタミン類の不足により、彼らのうち、4人が死亡しました。

相変わらず、鳥島を通る船は全くおらず、遂に彼らは、日本本土へ帰るための船をつくることを決意します。

前述したように、この島には木材となる木がないため、流木を使いました。

他にも、流木についている釘イカリを溶かして作った新たな釘や大工道具を造船に用い、帆にはアホウドリの羽毛を用いました。

1797年、彼らは苦労の末、長さ約9mの船を完成させました。

この時点で、造船を決意してから、実に5年もの年月が経過していました。

遂に生還

1797年6月8日、14人全員が船乗り込み、鳥島を出港しました。

数日間航海をし、無事、八丈島に到着しました。

長平にとっては、12年4ヶ月ぶりの社会復帰となりました。

彼らにとって、大変な喜びであったということ言うまでもありません。

長平は「無人島長平」というあだ名を付けられ、60年の人生を全うしました。

無人島長平」というあだ名は、墓にも刻まれています。


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